俺ガイル 解説

注 ネタバレ満載です。俺ガイル、10巻をこえたのでそろそろまとめてみようかなと思ってつくりました。

比企谷八幡から見た雪ノ下雪乃 第4巻~第5巻

ここから、物語の深淵に入っていきます。

今までに八幡がみてきた雪ノ下

・辛辣で正直。嘘をつかない。
・負けず嫌い。勝負ごとに積極的で、相手を叩き潰す。
・猫が好き、犬が苦手
・陽乃にだけは屈する
・「家庭の事情」がありそうだ。

といった感じです。

4巻のイベント、夏休みの奉仕部合宿から~

「どうも雪の下は葉山に対して刺がある。
 俺に対してもトゲトゲだが、それは攻撃的な刺だ。
 葉山への刺は排他的なものを感じる。
 リア充アレルギーかなんかだろうか。
 いえね、実は俺もリア充なんですよ。
 抗ヒスタミン剤で効くだろうか。」

葉山と雪ノ下の関係性に少し疑問を持ち始める八幡。

 

鶴見留美が生意気な口調で八幡の名前を尋ねた時の雪の下の対応にも少し意味がありそう。

「雪ノ下の視線が危険なほどに鋭い。
 下手すれば今までで一番怖かったかもしれない。
 睨む、というよりは射殺すといったほうがより性格だろう。
 子供相手といえど手心を加えるつもりはないらしい。
 むしろ、普段の雪の下より苛烈な印象を与える。
 あまり子供が好きじゃないのかもしれない。」

これは、雪の下が過去の自分と留美を重ねたんでしょう。
過去の自分自身を認められないから、という特殊でありきたりな精神を
雪ノ下も持っていることを示していると思います。

八幡の感想も同じく、
「もしかしたら、雪の下は過去の自分の面影をそこに見出しているのかもしれない。」
と後に思ってるし。

 

その夜、八幡と雪ノ下が互いに部屋に居づらくなって、
外でばったり会ったとき。
雪の下が初めて葉山との関係を語る。
幼なじみで一緒の小学校だったと。
雪の下が初めて、他人を交えた自分語りをしたところだと思います。

 

第4巻のラストシーン
合宿から戻ってきた雪ノ下が、ハイヤーで現れた陽乃さんに連れて行かれます。
由比ヶ浜と八幡が、そのハイヤーに見覚えがあることに気が付きます・・・

 

第5巻の始まり
「俺は雪ノ下のことを、知らない
 無論表層的なことは知っている。
 名前とか顔とか成績がいいこととか人を寄せつけないことや
 猫とパンさんが好きなこととか口が悪くて結構抜けてることとか。
 けど、そんなもんだ。
 その程度で人を知った気になってはいけない。
 周囲の人間が俺を理解しないのと同様、
 俺もまた周囲を理解してはいない。
 それを忘れてはいけない。
 いったい何をもって、『知る』と呼ぶべきなのか―。」

「梅雨の晴れ間。罪科のように赤い夕映えを背に、
 寂しげな微笑みを浮かべた少女。
 あのとき、彼女は確かに一線を引いたはずだ。
 被害者同士である俺たちと、自分とは違うのだと。
 その境界線がなんだったのか。
 今ようやくわかり始めている。」

事故のことをだまっていた雪ノ下のことが、
わからなくなってきた八幡ですね。
正直だと思っていた雪ノ下に、勝手に期待して裏切られたと思う気持ち・・・

 

塾で川崎に話しかけられ、雪ノ下も塾に来ていたと知らされた八幡。
川崎から、雪ノ下へのお礼を言っといてくれと言われて、
「川崎の攻撃性はうまくコミュニケーションを取れないが故の裏返しだと俺は感じる
 ・・・・・・
 一方の雪の下はそもそも攻撃する気がない。
 ただ彼女の存在自体がある種の攻撃なのだ。
 優れた存在は眩しい。劣等感や嫉妬心を呼び起こす。
 それがために官女の周囲には断絶が生まれ、悪意が向けられる。
 そして厄介なことにその悪意に対しては徹底的に立ち向かい、
 叩き潰すのが雪ノ下なのだ。
 川崎の行動が予防線としての威嚇ならば、
 雪ノ下の行動は常に絶対の報復である。」

八幡は、雪ノ下をわかろうと考えてるけれど、
感情の部分の理解にまでは至らない、そんな感じですね。

 

戸塚と材木座の登場。
雪ノ下へのそれぞれの評価を八幡が聞くシーン。

戸塚「真面目で真剣だから怖く感じるのかもね」
材木座「正直すぎて怖いというのもあるな。
    どんなことを言われるかわかったものではない」

 

花火大会で陽乃と会ったとき、雪ノ下と母親の関係を聞く。
「『母がなんでも決めて従わせようとする人だから、
  こっちが折り合いをつけるしかないんだけど・・・・・・、
  雪乃ちゃん、そういうのへたっぴだから。』
 へたっぴってレベルじゃねぇだろ、あれ。
 へたへたへたっぴとか重複して強調したほうがいい。」
「なにか」と折り合いをつけるのが下手な雪の下と八幡は似ていますね。
現実との折り合いの付け方が不器用とも言えます。

 

でも、現実がつきつけられます。
ハイヤーの前に立ったとき、陽乃が八幡と由比ヶ浜に告げ口してしてしまったとき。

「『あ、でも勘違いしないでね。雪乃ちゃんが悪いわけじゃないんだから』
 それは、・・・・・・わかっている。
 今まで雪ノ下が悪かったことなんてない。
 常に正しくあろうとするのが雪ノ下雪乃なのだから。」

「それは、」の後の「・・・」に、八幡の理性が働いて、
感情に相容れない合理的な結論を得ようとしているように見えます。

雪ノ下が持つ現実との折り合いを上手く付けられない、そんな八幡に見えます。

 

由比ヶ浜との話の中で。雪の下に由比ヶ浜が踏み込みたいと告げたとき、
由比ヶ浜との考え方の差異を発見する。

「俺に踏み込む気はないから。これまでもこれからもけして踏み込まない。」

 

5巻のラスト、雪ノ下を知る人達から聞いた、雪ノ下の人格像のイメージを反芻し、
導いた八幡の雪ノ下に対するイメージ。
「常に美しく、誠実で、嘘を吐かず、
 ともすれば余計なことさえ歯切れよく言ってのける。
 寄る辺がなくともその足で立ち続ける。
 そんな姿に。凍てつく青い炎のように美しく、
 悲しいまでに儚い立ち姿に。
 そんな雪ノ下雪乃に。
 きっと俺は、憧れていたのだ。」

そして、ラストシーン
「――雪ノ下雪乃ですら嘘をつく。
 そんなことは当たり前なのに、そのことを許容できない自分が、俺は嫌いだ。」

 

勝手に期待して、勝手に裏切られた気分になった自分に苛立つ八幡、
何も知らない人を嫌いになるのには抵抗がない。
でも、期待した自分がいたから、その期待に応えない相手を貶める。
そんな期待をしてしまった自分を含めて。

いや、、、しびれますね。。。
期待に応えない相手を貶めてしまうと同時に、
勝手に期待した自分が悪いと、圧倒的な自己責任論を振りかざす八幡。
ほんと共感しちゃうわ・・・

 

いよいよ第6巻からは文化祭イベントになります。
雪ノ下の現実を八幡はどう見るのか。折り合いは付けれるのか。
自分で整理していてハラハラします笑

 

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。4 (ガガガ文庫)

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